腹減ったと呟いたら、あたしを食べちゃってもいいよとのんきにそいつは微笑んだ。 だから俺は相変わらず理解できねェのかするつもりがねェのか、それとも分かっていてそれでも俺のそばにいるのか知らねェそいつのさわやかなまでに明るい笑顔をじとりと見つめる。
お前なんか喰ったって、俺は全然満たされねえよ。
思わずそういってしまいそうになるけれど、そういってやればこいつは漸く目を覚まして俺から離れるかもしれないと思ったら口に出してしまいたくもなる。
俺が喰いたいのはお前じゃねェ、別の女だって、こいつには何度だっていってきてるのに、セピアはそれを無視することに決めているようで。
「ハヤシライスの方がまだマシだな」
正直に口を開けば、セピアはいつものように明るすぎるぐらいの笑顔で笑った。
傷つくのは俺じゃない。こいつだ。あえて俺と一緒にいることを選ぶ、馬鹿なこいつ。
腹にも溜まらない彼女の囁く愛してるを、いちいち拾い上げるのはただ面倒なだけだ。口に運ぶのもめんどくせェ。
食べたところできっと俺には、何の味も分からねェだろう。
きっと優しくて甘いその味を、俺の舌では理解できねェようなその複雑な味わいを、俺ではなくほかの男に提供するべきだとは思わないのか。
俺は彼女を、彼女の愛を、理解できないまま飲み込んでしまう。そんなのは空しいだけだ。
俺には、こいつの愛なんかいらない。
「素直じゃないわね」
セピアが笑ってそう言った。
そうさ、素直なんかじゃねェ。俺はそっとため息をつく。
素直さも同じ、腹には溜まらない。俺にとっちゃあってもなくてもおんなじなのだ。
俺が欲しいのは満腹感。満たされてるって証拠。
「はい、絶対そういうと思って、用意しといた」
彼女の笑顔とともに差し出されたのは、湯気を立てるハヤシライス。
にこりと微笑むセピアに、俺は黙ってスプーンをとる。
なんでも一緒だ。お前の作るハヤシライスも、お前の愛も、お前の身体だってきっとおんなじ。
俺にはその味が理解できないのだから、俺が食べる意味なんてない。 ただ空腹を紛らわすために飲み込んでいる、それだけの関係。
馬鹿なこいつは、それを知らないのだ。
知っているのは、何の味もしないハヤシライスを食べる俺だけ。
「美味いよ」
カウンターの向こうでセピアが笑う。
俺は笑わないし笑えない。
いつか俺の目の前で笑顔を浮かべるこの女を喰ってみたくなる前に、この意味のない食事をする謎の習慣を止めようと、俺はぼんやり思う。
それでも俺がこの店にきてしまうのはきっと、俺にも限界があるからだ。
いつかはあの女を追いかけるのに疲れて、腹が空きすぎて動けなくなって、何でもいいから食べたくなって、
そしたら、もしかしたら、一番に食べたくなるのはこの女かもしれねェ。
目の前で笑うセピアを見つめて、俺はとんでもない妄想をしているけれど、もしかしたらそれこそセピアの狙い通りなのかもしれなかった。
結局は俺はセピアを求めにくるのかもしれねェ。食欲という本能に限りなく近い愛情で、彼女を求めて。
そして何の味もしないだろう彼女を、でも最初の一口はきっと彼女の味に期待して、
彼女のその白い肌に、歯を立てるのかもしれねェと。
「なんか余計腹減ってきた」
一皿ぺろりと完食しつつ、そう呟く俺にセピアは微笑む。
「おかわりあるからたくさん食べてって」
俺の限界がきたとき、もし俺が彼女を喰ってみたとして、それでも俺はきっと満足できねェのだろうなと思う。
細い彼女を腹に入れたところで、満腹にすらならないかもしれない。
それなら、喰っちまうのはもったいない。そうだ、口に運ぶのも面倒じゃねェか。
だから俺は彼女の代わりにハヤシライスを食いまくって、一生味わえない彼女の味を想像してみたりする。
なぁセピア、俺がお前を理解できねェように、お前はきっとこんな俺が理解できねェだろうな。
もぐもぐと二皿目のハヤシライスを頬張る俺の顔を見ながら、セピアは幸せそうに笑った。
愛を喰らって嘘を吐く
にびちゃん宅セピアさんお借りしました もぐもぐ