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2024/05/19(Sun)
ADMIN
最近良く思うのは、蜂散さんがやけに明るいっていうことだ。春になり、天気もぽかぽかしてくるようになると、蜂散さんは前より頻繁にここへ姿を表すようになってきた。彼に会えるということが、正直単純に嬉しい。

カウンターでミルクティーを飲む鯉壱さんは、最近はハチミツ漬けリンゴのアップルパイがお気に入り。おすすめのアップルパイに合わせて紅茶のフレーバーの数も多くなり、メニューも少し春めいてきた。だけど、ふいに現れるマイペースで騒がしい彼は、あいかわらずブルーベリーパイばかり食べてる。

「飽きませんか?」
「何が」

そのパイですよ。売れ残りとはいえ、他のケーキだってまだあるのに。店じまいの準備を進める俺は、食器を洗いながら、カウンターでもぐもぐやっていた蜂散さんに聞いてみる。 蜂散さんはちらりとケーキの並ぶショーウィンドウを見て、ああ、と曖昧な声を出した。

「なんかツユキの味って感じするから。これじゃないとダメかなって」

フォークをかじりながら、彼は笑う。隙間から見える白い歯。ドキドキして、心臓がきゅっとするのを感じる。彼の笑顔のせいなのか、それとももっと別の本能的な予感のせいなのか。俺にはどっちか分からない。ただ、きっと蜂散さんのことが好きだからだと思う。ぼんやり、でもきっとそうだ。蜂散さんの笑顔を見ると、やっぱり俺はドキドキしてしまうから。俺はうつむいて、白くなめらかな食器の肌を流れていく白い泡と水を眺めた。心地良い水流の音に乗せて、蜂散さんの声がぼんやりと聞こえる。

「なんか儀式みたいなもん? ツユキのとこにいるんだなあって実感する」
「儀式、ですか?」
「うん。外から歩いてくるでしょ。明かりがついてて、店の前だけ明るい。で、覗きこむとそこにツユキがいて。ドアを開けたらベルが鳴って、店の中は暖かくて。ツユキが俺見てびっくりしてる。カウンターに座って、ツユキと喋りながらケーキ食べて、で、ああ、俺幸せだな~って。ね。だんだんツユキの空気に慣れてく感じ。ちょっとずつ染み込んで行く。そういう一連の流れ」

俺は蜂散さんの声を聞きながら想像する。ドアのベルが鳴り、ひょっこり現れる蜂散さんの姿。リヴリーの世界は、蜂散さんが暮らす世界とは違う。蜂散さんがあのドアをくぐるということは、自分の世界と全く違う世界へ来ることなんだ。いくら慣れている蜂散さんでも、きっとそれって、実はすごいストレスなのかもしれない。
ちょっとずつ、と俺は蜂散さんの言葉を心の中で繰り返す。何気ない顔をして軽々とやってのけているように見えるのは、蜂散さんがそれをいつもしてくれるからだ。俺は向こうには行けない。蜂散さんがこっち側に来てくれないと、俺は彼には会えない。一方的で、理不尽な仕組みだ。仕方ない事だと分かっていても、一人で彼を待つ夜が腹立たしい時もある。それでも、俺がそのドアを飛び出して行っても、俺は蜂散さんの世界には行けない。俺はここで彼を待って、皿なんか洗ったりしながら、待って、待って、待ち続ける。

「映画館に足を運んで、チケット買って切ってもらって、座席探して座って、ポップコーンかじりながら始まるのを待つのとさ、家でいつものソファーでDVD見るのって違うじゃん? ああいう感じ」

つまり、非日常なのか。俺は。

俺は蜂散さんにとっては、特別な存在であると同時に、いつもそばにいる日常ではないんだ。あたりまえか、と俺はぼんやり思う。この空間が非日常だからこそ、俺は蜂散さんを見るたびドキドキするし、もっと傍にいたい、もっと触れていたいと思うんだ。

好きだから、好んで食べてるのかと。思ってました。勝手に。そうだったらいいなって。
頭をよぎったそのセリフを何故か口にできなくて、俺はただ流れる水を止めた。ひねった蛇口の取っ手から、きゅっと小さな音がした。
儀式の一つ。無くてはならないけど、好きでやってるわけじゃない。ただ習慣として選んでるだけ。
ブルーベリーパイの話ですよ。

「他にもおすすめ、あるんですけど」

アップルパイとか、チーズケーキとか、ショートケーキとか。みんな売れ残りだけど、蜂散さんが最後のお客さんだから。みんな蜂散さんに選ばれなきゃ、捨てられちゃうんですし、無理に一つのものばかり食べる必要はないんです。可愛いのとか、美味しいのとか、他にも、他にも、ショーウィンドウにはいっぱいあって、蜂散さんは好きなモノを選ぶことが出来て、だから、わざわざ、いつもそればかり、食べなくてもいいんです。好きじゃないなら、自由気ままに、別のものを選んだって。

「鯉壱さんは最近アップルパイがお気に入りなんですよ。この前新作のタルトを作ってみようかって話をしたらすごい喜んでました。蜂散さんはリンゴ好きですか?」

なんだか心臓がバクバクする。勝手に口が止まらなくなって、無理な早口が喉から出てくるのがわかっていても止まらなかった。落ち着け、落ち着けよ。何言ってるのか、自分でよくわからない。慌てふためく俺を見て、蜂散さんがカウンター越しに不安げな顔をするから、余計に頭がパンクしそうになる。

「あの、隠し味が入ってるんです、一度ハチミツで煮てて、えっと、だから、すごく甘くて、柔らかく、」

そこまで言って、急に蜂散さんの右手が伸びてきて、蜂散さんの人差し指が、俺の口をそっとふさいだ。左頬に触れる、蜂散さんの大きい手。見上げた先で彼がまた困ったように笑うから、俺はまた、反射的にドキリとする。

「俺ブルーベリーパイ好きだよ。言ったろ、食べると安心するんだ。コーヒーも、紅茶も、ツユキが作るものならなんでも」

だってツユキの味だから。
蜂散さんはそう言って、いつもみたいに飛び切り丁寧に、優しく、俺の頬を撫でた。だからその瞬間には俺はもう、何が何だかよくわからなくなってる。
貴方のために作ってますから。そのパイはずっと、あの日からずっと、貴方のためにあるから。そう、素直に言えたら、素直に言う勇気が俺にあったら。口にできなかった言葉は、音の代わりに、気の抜けた笑顔になった。蜂散さんは俺が笑ったのを見てそっと立ち上がり、俺の額にキスをして、呟いた。

「ツユキ、フォーク持って、こっちに来いよ。あの日みたいに、一緒に食べよう」








(140425→170423) 放置してたのを手直し 3年…


2017/04/23(Sun)
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