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2025/01/15(Wed)
ADMIN
今日はお店はお休みだ。
ドアのところにかかったopenの文字をひっくり返してcloseにする。
ドア越しに外を覗けば、青々とした深い空に浮かぶ白い雲が、もう夏の匂いを運んでいる。
近頃は雨ばかりで、なんだか久しぶりの太陽はやる気に満ち溢れてるみたいにぎらぎらしていた。
雨上がりの空気の匂い。すこしだけ目を閉じて深呼吸した。
せっかくのお休みなのだから、気分転換にピクニックにでも行こうよと、鯨真さんはそう誘ってくれたけど、俺は買い出しもあるし、新しいメニューも考えたいんですと言ってそのお誘いを丁寧に断った。こんなに清々しい天気になるのなら、鯨真さんの言うとおり、今日一日ぐらい出かけても良かったかな。ぼんやりとそう思いながら伏せた目をあげたら、closeの文字の向こう側から、蜂散さんの顔がひょこっと覗いた。



*** 



「蜂散さん、それ麦茶ですってば!」 
「え!?」 

いつものカウンター席に座った蜂散さんが、出した麦茶のグラスに角砂糖を沈めたのを見て俺は慌ててそう言った。蜂散さんは俺の悲鳴がかった声を聞いて驚いたように顔を歪ませたが、言葉の意味を理解すると、あちゃー、と小さく呟いて顔を覆った。 

綺麗な茶色のグラスの中で、カランと涼し気に鳴る氷の音がまるで笑い声みたいだ。 そういえばこのあいだ鯉壱さんも全く同じことをしでかしていた。夏になるとサービスで水の代わりに麦茶を出すんだけど、それを紅茶だと思い込んだ鯉壱さんがミルクをとってグラスに開けるまでの動きは、それはそれは洗練された鮮やかなものだった。あの時の鯉壱さんの動き。綺麗だったなあ。じゃ、なくて。 

「ああ~やっちまった~」 
「もう~出す時言ったじゃないですか麦茶ですって」 
「なんかつい癖で…」 

鯉壱さんとおんなじこと言ってる。俺は麦茶に角砂糖やミルクを入れたことがないのでわからないけど、紅茶だと思ったものが麦茶だったりするのは結構ダメージが大きいらしい。鯉壱さんはもちろん葬式のような顔の青白さで俺を驚かせたけど、蜂散さんもかなり凹んでがっくりきている様子で、覆った顔からしばらく手をどけようとしなかった。蜂散さんの場合、ちょっと恥ずかしかったのかもしれない。そう思うと、こっちまでなんだかニヤけてしまうけど。 

「ごめんツユキ、ちゃんと飲むから」 
「いいですよ無理して飲まなくて」 

気の抜けた蜂散さんの間抜けな行動をちょっと可愛く思ってしまった俺は、笑みが零れるのを我慢しきれずに笑った。蜂散さんは「いいよ!飲める!ちょっと甘い麦茶だろ、飲めるよ」、としなくてもいい謎の主張をして、グラスを掴んで俺から遠ざける。美味しいものではないだろうと思ったし、「そんなの飲んだら体壊しちゃいますよ」とまで言ったのに、蜂散さんが「飲みたいの!」とまで主張するので、半分呆れて、でも笑って、無理には回収しなかった。 

蜂散さんがこんな時間に現れるのは珍しい。俺は甘ったるい麦茶と格闘するハチルさんを眺めながら思った。
今日は偶然休みだったから、店の中には二人だけ。
closeのかかったドア。彼のために俺がいる。俺だけが、このカウンターで。
この状況が、空気が、ただ単純に嬉しくて、なんだか一人舞い上がっている。
もちろん、蜂散さんには内緒だけど。

心の中で一人幸せな気分に浸っていたら、甘麦茶を頑張って飲んでいた蜂散さんが早々に諦めたのか、突っ込んだストローを手持ち無沙汰に掻き回しながら、「ねえツユキ」、と言った。

「なんですか?」
「たまにはどこかに遊びに行こうよ」
「どこか、ですか」
「ツユキってずっと店にいるから。大変じゃない? どっか遊びに行きたいとか、思わないのかなって」

そりゃあ、そりゃあ俺だって、たまにはって、思ったりすることもありますよ。
だけど、そう、たぶん、なんだかそれをするには忍びない気持ちのほうが勝るのだ。
店を放り出してしまったら、もし放り出してしまったら、この店が、空っぽになってしまうから。

ぽつぽつとした俺の呟きに耳を傾けていた蜂散さんが、ツユキは偉いねえ、と言って笑った。そんなことないです、と照れ隠しに顔をしかめかけたら、その隙に蜂散さんが俺の方をじっと見る。目と目があって、微笑みを少し浮かべた蜂散さんの俺を見る目が、なんだかくすぐったくて、俺は目を逸らしてしまう。もったいないと思わないわけじゃない。ただ、勝手にドキドキ言い始めた心臓も、見つめ合う目も、真っ白になっていく頭も、このままじゃ何もかも、もたない、気が、するから、仕方なく、だ。

「外出しないからそんなに肌が白いんじゃねェかなァ。もちもちしてて美味しそ」

蜂散さんはのんきにそう言って、ふふっと一人で幸せそうに笑った。言ってることは一瞬チャーミングに思えるけど、よくよく考えたら俺は危ない目にあってるのかも知れない。つられて笑いかけた顔を、何言ってるんですか、という文句に無理矢理変えたのに、蜂散さんは俺のその努力もあっさり無視して、カウンター越し、俺の方に手を伸ばした。

どきり、俺の中で飛び跳ねる心臓の爆発しそうな音が蜂散さんには聞こえない。すっと伸ばされた手が、俺の頬に触れて、俺がどぎまぎしている間に、蜂散さんは座っていたカウンター席からぐっと身を乗り出した。ぎょっとして思わず半身引いた俺のほっぺたを、蜂散さんはむぎゅっと摘んでむにむにやって、子供のように笑い出す。

「もちもちだ〜」
「…や、やめてくださいよ!」

恥ずかしさのあまり悲鳴をあげて仰け反る俺に、蜂散さんは一瞬ぽかんとした顔になり、すぐ意地悪な顔でにやりと笑った。こういう蜂散さんの顔を俺は知ってる。いつもより強引で、意地悪で、ちょっとワガママになって、俺を困らせるときの顔だ。

さらに身を引こうとした俺の腕をあっという間に捕まえた蜂散さんは、豪快にもカウンターに腰掛けると、びっくりしすぎて固まる俺を見下ろすようなその身長で、体を捻ったままの体勢で器用に両手で俺の頬を包んだ。こつんと額があたって、すぐそこで光る黄緑色の目に、俺は何処を見たらいいかわからなくなって目を泳がせる。

「ツユキくん、いま俺はものすごーく君が食べたくなっている」

どきり、また心臓が鳴る。彼の場合、その言葉の意味は恐怖するほどに直球だ。
この至近距離で、息も触れてしまいそうなほど近くで、蜂散さんは俺に向かってそう囁いた。
俺の心臓は悲鳴を上げそうになる。でもそれは、蜂散さんが怖いからじゃない。
見上げればそこで蜂散さんは優しく笑っていて、とても素直で、真っ直ぐな瞳で俺を見つめている。
俺はもう恥ずかしいからといって、その目を逸したりできない。
蜂散さんが今すぐ俺に噛み付くことができることは分かっているけど、彼はそれをしないということも分かっているから。

蜂散さんが俺の頬を親指で撫でる。
それがなんだか不思議なほど心地良くて、俺は大人しく目をつぶった。
心の底から溢れてくる安堵感。蜂散さんだけが俺に与えられる不思議な感覚。

こうして蜂散さんに触れられるのを、俺はどれだけ待っていただろう。
ずっとこのカウンターで、たった一人、来る日も来る日も、貴方が来てくれるのを。
我慢していた想いが、蜂散さんに言えない言葉が、溢れてきてしまいそうだ。
みっともなく涙が出てきてしまいそうになる。

それでもやっぱり、貴方は来てくれた。ねえ、蜂散さん。

「ツユキ」
「…はい」

消え入りそうな声で、それでも返事をした。
蜂散さんが幸せそうに笑って、俺の名前を呼んだから。

「キスしてもいい?」
「…いちいち聞かなくてもいいですよ」

降ってきたキスに目を閉じる。
頬に添えられていた手は、いつのまにか俺を抱きすくめて離さない。
幸福感に溶け出しそうな意識と感覚。
少しも手放したくなくて、俺も必死に蜂散さんの背中に手を伸ばした。

俺がずっと店にいて、外出しないのはね、蜂散さん。
こうやって貴方が来てくれるって、ちゃんと分かっているからです。
もし貴方が来た時に、俺が居なかったら、きっと蜂散さん困っちゃうから。
蜂散さんが会いたい時に、貴方と会えるように。
蜂散さんが俺を必要としている時に、ちゃんとそばに居られるように。

ねぇ、蜂散さん。
ちゃんと、そばにいますよ。





きっと、おそらく、それがすべて





にびちゃん宅ツユキくんお借りしました!


2014/06/19(Thu)
ADMIN