地面を覆い尽くしたふかふかの真っ白い雪に鯉壱はとてもはしゃいで、あちこちに倒れこんではいわゆる「天使」を量産した。わざわざ冷たい雪の上に倒れこんで、両手と両足を動かして雪上に天使を作るなんて、初めにそんな大それたことを考えた奴は頭が完璧にイカれてる。あはははは!と甲高い叫び声を上げながら、鯉壱はミルクティー色の髪に雪をいっぱいくっつけて、手と足をバタバタしていた。起き上がるとそこには角の生えた天使の姿。鯉壱は顔をしかめ、俺を見る。「これ天使って言えると思う?」君がそう望むなら。俺は肩をすくめて答えた。俺には悪魔に見えなくもないけどね。
目が覚めて真っ先にツユキのところへ行かなかったのは、なんとなく気が乗らなかったからだ。冬の間中頭のネジが緩んだモンスターと生活するっていうのは、意外と体力を使う。俺の腕を握ったまま離さない無口な女王陛下や、急に会話が止まって目を開けたまま静止するシンクや、一日中泣いているニータや、珍しく黙りこくって部屋から出てこないキャスケットの心配をするのにいちいち体力を使ってられない。普段いい子のサイでさえどことなく漂う空虚感と閉塞感にまいって、大好きな料理作りをやめてしまった。無害だったのはこの冬一度も目を覚まさず、大人しく眠っていたキッシュだけで、あとの病んだ大人たちはただ早く一日が過ぎろとか、明日が来ないで欲しいとか、そういうふうに思いながらぼんやりしていた。モンスターの冬眠っていうのは、恐ろしく心と体によろしくない季節を乗り切るための、苦肉の策だ。冬の寒さに耐え切れないとか、そういう生物学的な理由じゃない。もっと精神的な問題だ。俺たちは単純に、冬になると死にたくなる生き物なのだ。
そういう生き物が春を迎えると元気になるかとおもいきや、そうじゃない。精神を病んだ奴らがいきなり元気になるのは変なクスリを投与されてるからだ。無理やり脳を騙してる。根本的に俺たちが元気になるのは夏。グロテスクな冬を耐えて、自殺しなかった奴らは惰性で春を過ごし、夏を迎える。残念過ぎる年のとり方だ。頭じゃそれを悲観することはできるけど、実際の所、現に俺は鯉壱が雪まみれではしゃいでいるのを温かい部屋の中から見つめている。暖かい毛布に包まって、ここでツユキに会おうともせず、ぐずぐずしながら。
「靴下が濡れた!緑露ちゃん、冷たい!」
鯉壱が嬉しそうに叫んで、その声を聞いた緑露がキッチンから顔をのぞかせた。
「そろそろお上がりになられたら? 鼻が真っ赤ですわ」
「緑露ちゃんもおいでよ!楽しいよ!」
俺の頭の上で交わされるとてもとても楽しそうな声色の会話。
うんざりした俺が白目をむきかければすぐさま目の前に湯気の立つマグカップが差し出されるから、この女はほんとによくできたヤツだと俺は緑露を見上げてぼんやり思う。
「鯉壱サマの分もありますわ」
緑露が微笑みながらそう声をかければ、ガラスの向こうの鯉壱は大喜びで駆け寄ってくる。
鯉壱が赤いニットの手袋に包まれた小さな手でバルコニーのガラス戸を開けた時、鯉壱と一緒に冬の冷気がするりと入ってきた。
どうして冬なんて季節が存在するんだ! 寒いだけで何にもいいことなんかない。
怒りを通り越して、俺はなんだか泣けてくるよ。
「十色ちゃんと一緒にハチコの雪だるまを作ったんだ。あとで見てよ。十色ちゃんすごい喜んでた。まだ外でハチコの雪だるまに雪投げてるよ」
手袋を投げ捨ててマグカップを掴むと、鯉壱はそう言いながら口をつけた。
俺が適当に頷いておくと、鯉壱はソファーに座っていた俺に右にずれるように手で合図をする。
「ハチコは冬が苦手なのに、どうして僕らのところへ来たの?まだこんなに雪が残ってるのに」
質問に素直に答えるなら、そうだな、「死にたくなったから」だ。
あいつらといると頭がおかしくなりそうになる。気分は感染するものだから。
「鯉壱ちゃんに会いたくなったの」
おどけて答えて、俺もテーブルの上に置かれたマグカップに手を伸ばす。
冷えた指先に暖かさがじんわりと染みて、心地よかった。
鯉壱はふーんと適当に返事をして、俺がズレて空けた左側の席に座った。
「僕より先に、会う人いるんじゃないの?」
先に?
俺がぼんやりと繰り返せば、何故か鯉壱ではなく緑露が笑った。
口をつけたマグカップから、甘い香りがする。一口飲んで、すぐにわかった。
あの子は言ってたっけ、寒い冬に誰かと一緒に温かい飲みものを飲む時が、一番ほっとするって。
温かくて優しい味が、俺に小さなため息をつかせる。
じわじわと俺を温めるその感覚を、俺はずいぶん前から不思議に思っていた。
すぐそばにあの子がいるような安堵感、安直で単純な俺の脳を簡単に溶かしてしまう、そんな幸せな魔法のような。
「やっぱ会ってきたほうがいいかな」
「会ってきたほうがいいでしょ、そりゃあ」
隣を見れば、鯉壱が笑う。
片目を閉じて、ウィンクして、カップを持った左手を乾杯するみたいに高々と上へ伸ばした。
「僕らの分もお礼を言ってね、美味しいミルクティーありがとうって」
結局ツユキのミルクティーは、頭のイカレたモンスターを無理やり元気にする変なクスリと一緒だ。
そう思ったら笑えてきた。
俺はマグカップを傾けて、一気に中身を飲み干して、体中に暖かな幸せがめぐるのを感じる。
この幸せの代償に、どんな目に合おうが構うもんか。最初から俺は狂ってる。
結局俺は幸せを過剰摂取して、やっぱり死にたいモンスターだ。