ピンポン、と軽やかにインターホンの電子音が響く。
ドアの向こうからがちゃがちゃと騒がしい音が急に聞こえてきて、 俺は自分が住むとしたら、こんなドアの薄いマンションは嫌だなと思った。
レシートに印刷された黒くて小さな文字に目を落とすと、確かに住所はここで間違いないようだ。
ガチャ、とインターホンが喧しい音を立てて、はい、と不機嫌そうな声が聞こえた途端、俺の耳はぴくんと動いた。
お熱いうちにどうぞ
夏は嫌な季節。何故なら俺のバイト先は飲食店で、この時期の厨房は死ぬほど熱いから。
蒸される、という表現がぴったりの厨房には大きなオーブンが3つも4つもあって、
俺はせっせと熱を放出し俺を殺そうとしている元凶をぶち壊してやりたくなる衝動に駆られるが、
そんなことをしようものなら頭のイカレた店長に病院送りにされるのでやらないでやっている。
その中で焼かれているのは熱々のピザ。ピザは好きだ。
だけど電話でオーダーが入る度、冷凍の生地に冷凍の具材を乗せて暖まったオーブンに突っ込む度に、
お前ら夏ぐらい冷えたピザでも食ってろって気分になる。
しかも厄介なことに俺のバイト先はピザ屋であるわけなので、ピザができればデリバリーということになる。
人の家のインターホンを押して、適当に愛想のいい笑顔を振りまいて、
堂々と他人の家に入っていけるこのデリバリーというシステムが嫌いなワケじゃない。
実際ピザなんか頼むのは子どものお誕生日会とか、子どものお楽しみ会とか、
まあ子どものたくさん集まるときだったりするわけで、実際夏休みは大忙しだったりする。
宅配先で母親らしき女が俺を家に入れようともしないで玄関先でちょちょいと支払いを済ませて
ピザだけ受け取ろうとするのを見ると俺はかかさず、奥さんお熱いので僕が運びますよ、とか適当に笑顔で言ってみて、
いざ家に入ってみるとかわいい子どもがわちゃわちゃ隠れていたりするわけだ。
俺のそばにわさわさ寄ってきてピザピザってはしゃいだりする。
そう言う時に俺は夏のクソ熱い厨房も、クソ暑い日差しの中わざわざバイクでうろうろしなきゃならないこの疲労も、すべて忘れられるというワケだ。
俺がかわいい子どもに微笑みかけても、その顔を隠してくれる帽子付きの制服もなかなか気に入ってる。
ピザお届けに参りました、って笑顔晒したところでドアの向こうでムサい男子がもさもさ集まってた日にはもちろん最悪だが。
まあ文句はいいつつ今日も俺は一本のオーダーを受け、
クソ熱いオーブンに早く故障しろと呪いをかけながらピザを焼き、クソ熱い日差しの中バイクでやってきて、
エレベーターの修理なんぞしてやがる忌々しいマンションの階段をやっとの思いで上がり、
これでクソ野郎がドアの向こうから出てきたあかつきには即この階から突き落とそうと心の中で決めてからインターホンのボタンを押した。
ピンポン、と軽やかになる電子音が忌々しい。
騒々しい音とともに、ガチャ、とインターホンが鳴ったかと思うと、はい、と不機嫌そうな声がして、
というところまでがいままでの回想。
「はい」
その声は固まったままの俺の耳をやんわりと刺激した。
俺はレシートを持ったまま固まっていて、というか、正確には耳を澄ませていて、
二回目のはいで俺はやんわりと頬を緩める、あたりだ、と。
「こんにちは、ピザのお届けに参りました」
明らかに義務的なその台詞を、義務ではない、
むしろもっと邪悪な気持ちから俺はとびきり優しい声で吐いてみせた。
インターホンに、いや、その向こうにいるハズの女の子の耳に届いたであろうその声を聞いて、
その子ははーい、と短く答える。
聞いた感じからして12,3と言ったところか。
ガチャ、と始まりと同じように乱暴な機械音でもって俺とその子の会話は遮断された。
姿なんて見なくたって、俺には分かる。ツイてる。今日の俺はツイてる。
住所の書かれているレシートをするりとポケットに滑り込ませてから、俺はドアが開くのを待った。
ドアは、思っていたよりゆっくり開いた。わずかに空いたその隙間から、ぴょこっと彼女は顔をのぞかせる。
「こんにちは」
「こ…こんにちは…」
ピンク色の髪がキレイな可愛い女の子。上等だな、と俺は理性で思う。
俺の挨拶に不信感を隠そうともしないその表情、頬が勝手ににやにやしそうだ。
「ピザ届けにきたんだ。お母さんはいるかな?」
本当は、いないほうが都合はいいんだけど。
と思いながらもそうはいかねェことも知っている俺は、彼女に視線を合わせるようにしゃがみ込む。
オーダーの電話の時には、名前は何て言ってたっけ。
愛らしい顔にシャツなんか着て、見れば見るほど可愛いなあと思ってしまう俺は、
思わず指すら伸ばしかけてしまいそうになって、なんとか耐えることに成功した。
今日の俺は色々頑張りすぎだ。
「あ、いや、お母さんとか別に…。ピザ、パイナップル入ってるやつですか?」
「え?パイナップル?いや、そんなオーダーじゃなかったと思うけど…」
もごもごと、心無しか小声でそう確認する彼女に、俺は首を傾げた。
ポケットに突っ込まれたままのレシートにもそんなトッピングの表記はなかったはずだし、
そもそもこれを作ったのはこの俺なのだから間違えようがない。
見るからにがっかりしたような様子で、ああ、そうですか、とぼやく彼女を、
いますぐがばっと抱きあげて撫でてしまいてェなと思いながら俺はわなわなする両手を強引にポケットに突っ込んだ。
「オーダーは、別の人がしてて。俺はパイナップルのヤツが良かったのに、フリッカが、」
ぼそぼそと、言いつつ彼女は部屋のほうを振り返ってキッと睨みつけた。
あいつ、と未だ口ごもる彼女にとってその人物が何者なのかは知らないが、
もしかすると彼女の兄か姉か、すくなくともこの子よりは年上だろうと俺は察しを付けた。
それならあんまり期待はできそうにない。15歳以上はアウトだ。
しょげ返る彼女にキスしたいなとろくでもない考えを起こす俺の頭の中は隠したままに、
俺は彼女ににこりと笑いかけて、もちろん愛想のいい清楚なほうの笑顔で、それから小指を出すと、彼女に囁いた。
「今度来るときにパイナップルつけてあげる。約束する」
君のためなら、自腹でパイナップルのトッピングなんて安いもんだ。
お兄さんもパイナップル大好きだからさあ、今度一緒に食べようね。
と、までは言わなかったものの俺はそういう勢いで、ね、と小指をゆらした。
さすがに子ども扱いしすぎると思ったのか、それとも既に俺が怪しいことに気付きやがったのか、
彼女は眉をひそめながら、それでも結局は小さな小指を絡めてきたので、
やっぱり可愛くていい子だなあと俺は全く違う意味で笑いが止まらなくなってしまう。
俺は、よく分かりもしない男にちゃっかり指に触れられ、
しかもまた会うという約束をこんなにも安易に取り付けられてしまった哀れな彼女を思った。
可愛いお嬢さん、知らない男と仲良くしちゃ、ダメなんだよ。
俺が言うからこそ説得力のある言葉だなと、自分で思う。
渡したピザは彼女にはちょっと大きめのサイズで、俺は最後まで中に運ぼうかと食い下がり続けたが
いいです、ときっぱり頑なまでに断られた。
ピザLサイズに、ジュースとビールの缶を渡してやりながら、
俺は彼女が一度ドアの向こうに引っ込んだ時にすかさずスニーカーをドアの隙間にこじ入れた。
が、中を覗く前に彼女にぎょっとした表情で見つめられてしまったので慌てて両手を上に上げてみせる。
なかなか攻略しがいのありそうな子だ。
代金を受け取って、それじゃ、ご苦労様ですとドアの向こうにあっさり消えそうになった彼女に、俺はもう一度声をかけた。
「パイナップル以外に、のせて欲しいものあるかい?」
なんでも、好きなものをのせてあげる。のせてあげられるよ、俺は。
俺の脳内に渦巻く黒い思惑も知らないで、ドアの向こうに消えかけた名前も知らない純粋そうな顔をした少女は、少し考え込むような様子を見せて、それから短くこう言った。
「あなたのオススメで」
それじゃ、ありがとうございました。
あっけないほど簡単にばたんと閉まったドアに、最後まで笑顔で手を降り続けてから俺はゆっくりにんまりした。
くるりと踵を返し、帽子をかぶり直すとますます笑えてくる。
ポケットに手を突っ込めば、そこにはレシートがちゃんとある。黒い小さな文字で住所のかかれたレシートが。
帰り道は行きより楽だ。
エレベーターは相変わらず使えないし、道中強い西日は射すし、店に戻れば忌々しいオーブンが熱を発している、
そう分かっていても、だ。
最後まで分からなかった名前は、オーダーを取った店長に聞けばいいだろう。
パックミスがあったとかなんとか言って、俺が謝罪をしに行くからと言って、パイナップルを彼女にご馳走しよう。
そうやってにやにやと頬を緩めることを隠そうともしない俺の背中の向こう、薄いドアの向こう側で、
彼女が俺より年上の男と一緒に暮らしている事を知るのは、もう少し後のことだった。
ピザ屋のアルバイター転さん ずっと前から書きたかったんだ!!デリバリーしながら幼女を品定めするきもい転さんを!!