ろくでもない男というのはまず空気を読まない 「キスしてェ」
俺の前で平然ととんでもないセリフを簡単に吐いて見せる男の顔面に思い切りパンチを入れようとした俺の腕は、
その言葉を吐くより簡単だとでも言いたげな顔で、実際いとも簡単にフリッカロッタにとめられた
忌々しいにもほどがある。ニヤニヤ笑顔のままのフリッカの顔まであと数センチ、俺の拳はいつも奴に届かない。
「フザケるな」
「フザケてねェよ、本気だ」
「いいや、フザケてる」
ぐっと腕に力を込めてみたものの、フリッカの手は俺の拳を掴んだままびくともしない
余裕たっぷりの表情が余計に神経を逆なでした、その顔、こっちに近付けるなよ
俺の嫌悪の表情が目に入らないわけでもないのに、フリッカロッタは俺の気持ちなどいつものように無視を決め込むことにしたようで
彼の力に呆気なくひっくり返された俺の体はあっという間に犯罪者の腕の中、という気付けばいつものこの男の目論見通りの展開に陥るわけだ
俺の抵抗などこの男の前ではゼロに等しいことなど分かってはいるけれど、それでも暴れるのをやめるわけにはいかない、
だってこれは俺がこいつに対して出来る唯一の意思表示なのだから
フリッカロッタはふらりと現れる
いて欲しくないときには必ずと言っていいほど現れる
そうして俺の前に現れては、俺の毎日をめちゃくちゃにするだけめちゃくちゃにして一人するりと逃げてしまう
最低でろくでなしのクズだ。恥を知れ。
「エマ、」
呟かれた自分の名前にぞっとする、それと同時にフリッカのてのひらが俺の頬に添えられる
そうすると、さっきまで決死の抵抗をしていた体はすんなりそれをやめ、こんどはかわりに俺の脳へ無言の抵抗という反乱の旗を掲げるのだ。
彼は俺のことを恐ろしいまでによく知っている。どうすれば俺を黙らせられるか、どうすれば俺の抵抗をとけるか、そして言うまでもなく、どうすれば俺をじわじわと弱らせて、最高のやり方で殺せるかまで。
「離せよ」
「そんな怖がんなって」
フリッカロッタの声が、耳元のすぐ近くで響いた。
彼のその吸い込まれるような低い声が響くたびに、俺は思わず目をつぶってしまいたくなる
何もかも見透かされるような、じわじわとした恐怖が、まるで冷水の中に投げ込まれたみたいに全身をゆっくりちくちくさしまくるからだ
俺はこの男が怖い。心底怖い。でもその理由は、俺にもよく分からない。
俺を抱きしめたまま、フリッカが笑った
背中をぽんぽんと叩く彼の手つきが酷く優しくて、俺は強張ったままの表情をどうしたらいいのか分からなくなる
「俺が怖い?エマ」
怖いに決まってる、と言おうと思った。異常犯罪者で、頭はいかれてる、お前みたいな男といっしょにいるだけで寿命が縮む思いだ。
でも、ぎゅっと抱かれたままの体はまだしつこく抵抗を続けていた。俺に口を開けさせなかった。
俺が仕方なく押し黙っていると、フリッカロッタは迷子の子供がようやく見つけた母親に大喜びで飛びつくみたいに、突然俺の首筋あたりを強く抱きしめた。
「俺はお前が怖いよ、エマ」
世界で一番お前が怖い
ぽつりとつぶやかれた言葉の意味を、俺はしばらく理解できなかった。
首にしがみつくフリッカの腕が重たくて、少しよろめいてしまったせいでおもわずフリッカの背中に腕が回った
触れたはずのフリッカの背中は、途方もなく広い気がした。
「こんな気持ちは初めてなんだ」
ぽつりぽつりと彼は続ける。
肩の向こうでフリッカの声がゆっくりゆっくり吐きだされていく。
少し変な感じだった。フリッカはまるでそこにはいない誰かに話しかけているようだった
「お前のことだけがわかんねェんだよ。どうすればお前に好かれるのか。どうすればお前を愛してやれるのか。全然分かんねェ。だから、こわいんだ」
俺が怖いと、彼は言ったか。
ぼんやりとした頭で俺は思う。
俺が怖いと、こいつはそう言ったのか。
「フリッカロッタ…?」
俺を抱きしめたまま動かない彼の後頭部を見つめると、なんだかそれは今まで追いかけ続けていた凶悪犯ではないのではと思うほど、情けないほど頼りなさげな、小さな姿に見えてしまって
「…キスが嫌ならしねェから」
「え?」
キスはしねェから、もうちょっとこうさせてよ
不意打ちを食らった俺の耳に、フリッカの声は、何だかとんでもなく儚くて壊れやすい、吹いたら崩れてしまいそうな子供の泣き声のように聞こえた。
感情インストール
(いたい、つらい、くるしい、ぬけない)
甘いのかこうと思ってたのに(しろめ ちっちゃい子に泣きつくおっさんが好きです ひざついてぎゅっとね 抱きしめて、涙を見せないようにするおっさんが好き