モラハニ
ニックとウェンディ がしゃん、と何かが割れる音がした
続いて、テーブルがひっくり返される凄い音がして、ベッドの中で必死に眼を閉じていた私の瞼がびくんと揺れる
何も聞こえなかったんだ、このまま寝てしまおう
私は一生懸命自分に言い聞かせるけれど、ママとパパの怒鳴り声と何かが壁にぶつかったりする騒がしい音が私を寝かせてくれなかった
真っ暗な部屋で、私はそっと溜息をつく
白くぼんやり光る薄いドアの向こうから、ママのすすり泣く声が聞こえる
耳を塞いで、ほら、寝るんだウェンディ
いい子はもうとっくに寝ているはずでしょう
いい子はこんな風に、パパとママの喧嘩に耳を立てたりしない
気付けば私の身体はなんだか小刻みに震えているようで、
またかと思いながら私は両手で自分の身体を抱きしめる
パパに見つかったら怒られちゃうから、もちろん、目をしっかり閉じたままにして
こんこん。
突然窓のそばで、何か小さい音がした
空っぽの私の部屋に転がった小さな音に、思わず私は目を開ける
こんこん。
聞き間違いじゃない。
騒がしくママとパパが言い争っている中で、小さなその音が私を呼んでいた
私はそっと物音をたてないように起き上って、その音のする方を見つめる
月明かりが忍び込む、小さな窓
その向こう
こんこん。
「だあれ」
私はできるだけ小さな声で言った
返事の代わりに、パパが壁にガラスをぶつけた音がした
肩をすくめて私は思う、なんだ、気のせいなんだ
こんな夜中に、私の部屋の窓をたたく人なんて、いるわけない
それからその音はもうしなくなった
私はママが上げた泣き声に耳を澄ませながら、もう一度薄い毛布を頭までかぶった
***
次の日、ママは出て行った
私にお別れも言わずに行ってしまったママの、残して行ったものといえば、
キッチンの小さなテーブルの上に、いつもと同じ薄っぺらい紙切れに走り書きされた、ごめんなさいの一言だった
いつもはそこに書かれているハズの買い物リストを探したけど、そんなものはなかった
私は、なんだか呆然としたままその紙きれを見つめて、走り書きされたママの字を見つめて、
ママは出て行ったのだなと思った
誰かにそう言われたわけじゃないけれど、その文字を見ればわかることだった
私はドキドキしながら、ソファーに座って黙って煙草を吸っているパパに言った、
「この紙を貰ってもいい?私、お守りにする。大事にするから」
パパは、何も言わなかった。
私は、それ以上何も言えなかった
パパの前で泣くと怒られるとおもったので、私はその日の夜、パパが寝てしまってから自分の部屋でこっそり泣こうと決めていた
それまでは決して泣かないとも決めていた
でもパパはその夜、お家に帰ってこなかった
きっとパパもどこかで私に見られたくない涙を流しているんだろうとおもった
そう思いたかったのだけれど、もしかしたら違うかも知れなかった
だから私は自分の部屋でテーブルにのっていたママの最後の言葉を、こっそりポケットから取り出して眺めた
ママはもう帰ってこないのだろうなとぼんやり思った
ママはパパが嫌いになってしまったのだろうか。ママは、私のことも嫌いになったのかな。
泣こうと思って我慢していた涙は、何故か全然出てこなかった
私はひたすらママの「ごめんなさい」を眺めて、その文字を指でなぞっていた
こんこん。
その時ちょうど、あの音がした
私は腰かけていたベッドから飛びあがった
ママの手紙を、手紙とは言えないほど短いその手紙を、私はぎゅっと握りしめて、
そっと窓辺に近づいた
その日は、綺麗な満月だった
「だあれ?」
窓の外には、知らない男が、優しい笑顔で立っていた
「こんばんは。きみを助けに来た」
ニックとウェンディのファーストコンタクト なにやら怪しいやつが来た